Dream Story
ばくらけ
【寒い朝は】 【雨とあいつ】 【根競べ】 【眠り姫vs日曜日よりの使者】


⇒+ remise +
⇒+ aller a TEXTE +
⇒+ aller a principal +


 強い光が、私の意識を中途半端に覚醒させる。
目を閉じている筈なのに、世界は其れをも通り越してやってくる。
薄目を開けると燦々と輝く眩い太陽。
閉じ忘れていたカーテンは綺麗に纏められたまま、薄いレース地の向こうには厭味な程に抜けた青空が広がっていた。
鈍い頭と寝ぼけ眼のまま時刻を確認する。
10時か…。
うん。まだ眠い。よしいける。
 この部屋の空気は、まだ十分に私を私の世界へ引き戻せる余韻を残している。
其れが褪め切らない内に意識から手を離そうと、もう一度目を閉じた。
衣擦れが気持ち良い。
この部屋のコンディションは完璧だ。
 静かな室内。
空調の微かな稼動音。
扉の向こうからは陶器の触れ合う音。優しい足音。くぐもったフィルターの声。
心地良い生活音。
私は安心して不完全な孤独を堪能する。
うん。幸せってこう言う事なんだろうな。
 思考は止まり、少しずつ、少しずつ、私は自分の内側へと歩を進めて行った。
足音がする。
もう此処は夢の中なのだろうか。
これは私の足音…では、ない。
誰?
規則的な、その神経質そうな足音は徐々に大きく、私の方へと近付き、そしてぴたりと止まった。

「おい。テメェ…何時まで寝てりゃあ気が済むんだぁ…?」

 急激に襲い掛かる現実。無常にも訪れた使者。
目を閉じたまま、私は目覚めた。
振り返らなくても判る。見なくても判る。
太陽の光から逃げる様に壁に背を向けた私の後ろに、彼は立っている。
腕を組み、不機嫌そうに眉を顰め私を見下ろす彼が。
そう、バクラが。
きっと軽い苛立ちを孕み、組んだ腕の先の、やはり神経質そうな指を規則的に上下させながら。
 それでも私は、この誘惑に打ち勝てずに居る。
目を開けて、おはようと、そう言ってしまえば良い。
ただそれだけの事。
だけど…それだけの事が、如何しても出来ない。

「…。起きてんだろ?」

 起きてません。
ええ。起きてませんよ。残念でした。
 不意に規則的な音が部屋中に響く。
何の音かと思い耳を澄ました直後、止めておけば良かったと後悔する。
嗚呼…これは、彼の足音だ。
神経質な程に短い等間隔で冷たいフローリングと彼の爪先が、たったったったっと微かに響き続ける。
苛立ちを表すかの様な緩やかなクレッシェンド。
 拙い。これは非常に拙い。
絶対に、私の意識が此処にあると言う事は、彼に悟られてはならない。
じゃないと…怒られる!!

 ぴたりと音が止んだ。

 訪れる静寂。

 恐い程に静止する世界。

 空調の微かな稼動音は、何処へ消えてしまったのだろう。
扉の向こうの心地良い生活音は、何処へ行ってしまったのだろう。
私は今、何処に居るのだろうか。
私は今、本当に目覚めているのだろうか。
リネンの香りだけが厭に優しくて。
ずっと見詰めていた瞼の裏の黒がぐにゃりと歪んだ。
 精神を食い荒らす恐怖と不安。
耐えられず目を開こうとした刹那、彼の呼吸。
すっと息を吸い込み、僅かの間の後に、長い長い吐息。
背後で動く気配。
組んでいた腕を下ろし、佇まいを崩したのであろう布の擦れ合う音。
なんだ。私はずっと『此処』に居たし、彼もまたずっと、『此処』に居たのだ。
『此処』は夢ではないし、私は覚醒して居る。
そう思ったら、何だか馬鹿らしくなってきた。
 もう恐くない。
これは私と彼の勝負だ。
彼が私を起こせたら、彼の勝ち。
私が彼の目を掻い潜り、元の世界へ旅立てたのなら、私の勝ち。
さぁ。次は如何する。
だけど、彼は何時まで経っても動かなかった。
 いや、厳密に言えば其れは違う。
身体の重心を右へ左へ微かに移動させている気配。
何を言うでもなく、何をするでもなく、バクラはただ其処に立って居る。
…ははぁん。困っておいでですね?
にやつきそうになる口元を、必死に押さえる。
バクラに背を向けている私の表情を彼が知る術は無い筈だが、それでも私は堪えた。
 空気が大きく動く。
決して大きくない筈の足音が部屋中に響き渡る。
一歩、二歩。そして沈み込むマットレス。
窒素と酸素を介して伝わる熱。
近付く気配。
彼の吐息。
再び幾度目かの静寂。
 …やっべぇ。何か、超、近くないですか?
え、ちょ、何で其処で止まるんですか!?
それはそれで不安と言いますか…恐いんですけど!!
 壁を向いている私の背後で、彼は座ったまま暫く其処に居た。
瞼を通り越して私を包んでいた太陽の薄闇が、一層濃くなる。
唐突に、彼の座っている場所から離れた所が沈み込む。
如何やら、私の頭の後ろ辺りに手を着いた様だ。
 何か強い力が、一気に身体に加わる。
一体何だ。
私は如何なった。
気配を探るのに必死だった私は、この状況が良く理解ない。
だけど、何て事は無い。
この身体は私の身体だ。
直ぐに状況を把握する。
肩口を引かれ、壁を向いて寝ていた身体が仰向けになった。只其れだけの事。
 びっくりした。いきなりなんだってんだよもー。
レディーはもう少し丁寧に扱わないと嫌われるんだから。
まぁ…それでも図太く寝た振りしてる私がレディーなのかと問われたら…うん。
それは言わなくても良いだろう。
さて。此れから如何したものか。
 如何でも良い様な事を考えている内に、再び沈み込むマット。
先程の場所は依然窪んだまま。
今度は反対の、頭の横。
初めに沈んだ場所は面積を狭め、より深く沈んでいた。

「好い加減にしねぇと…後悔するぜ?」

 近付く体温。彼の吐息。
更に濃さを増す、闇。
顔の正面、直ぐ其処で呟いたバクラの気配がくすぐったい。
後悔?一体何の事だろう。

。」

 短く名を呼ばれ、不意に何かが、私の唇にそっと触れる。
警戒する様に少しだけ触れ、直ぐに離れた其れは其の侭数秒の間ぴたりと止まり、そしてまた、私に触れた。
啄む様なバクラの口付けは、普段の言動からは想像出来ない程に、優しかった。
けど、く、るし、い。
 咄嗟の事に呼吸のペースを乱された私は、微かに唸る。
すると一瞬離れたが、起きた訳ではないと確認するとまた直ぐに唇を塞がれる。
ちょ…、調子に乗りすぎじゃないですかアナタ。
止めてよ…変な気分になるじゃない。
鼓動が凄く五月蝿い。
熱を帯び始める身体が煩わしい。
今更…起きてましたなんて、言えない。
嗚呼。後悔って、これの事なのだろうか?
 最後に軽く舌で唇をなぞられ、バクラの身体は離れていった。
遠ざかる気配。離れる体温。
沈み込んでいたマットレスの窪みが一つ、また一つ、何も無かったかの様に元に戻っていく。
其れを名残惜しいだなんて思う私は、よっぽどの馬鹿なのだろうか。
 ぺたりとバクラの足がフローリングを蹴る。
素足の彼の足音が段々と小さくなる。
待って。
小さな金属音。手を掛けたドアノブ。
止めて。
外から流れ込む空気に侵食される、この部屋の完璧なコンディション。
行かないで。

 だけど、無常にも扉は、一際大きな音を私の耳に残して閉められた。

 反射、飛び起きる様に身体を起こす。
呼吸が乱れている。
じんわりと汗ばみ、動悸が止まらない。
何故だろう。
今私を支配しているのは、完全なる孤独だ。

「やっとお目覚めかぁ?。」

 冷水を浴びせられた様な冷たい感覚が電流の如く身体中を駆け抜ける。
厭に近くで、彼の声がした。
一体、何故。
彼が出て行った筈のドアへ視線を向けると、そのドアの前で腕を組み壁に身体を預けた彼が面白そうに私を見下していた。
何時も通り、意地の悪い、にやついた笑みで。
騙された。
ただドアを開け、閉めただけだったのか。

「なっ…し、知ってたの!?」
「はぁ?一体何をだ?言ってみろよ。」

 一体、何を。
私が起きて居たと言う事。
ずっと。そう、ずっと、起きていたのだ。私は。
だけどそんな事、言える訳無い。
だって、ずっと起きていたんだもの。
バクラに触れられていた時も。

「…いや、…何でも…ないよ。」

 完敗。
完全なる敗北。
結局私は、バクラに良い様にされた訳だ。
悔しさと恥ずかしさと、ほんの少しの安堵と。
全てが綯い交ぜになって、良く解んなくなってきた。
相変わらずバクラは躁病気味に、それはそれは楽しそうに笑い狂ってるし。
考えるのも馬鹿らしい。

「それで?レディーの部屋に無断で侵入して、何の用?」
「随分な言われ様だなぁ。…まぁ良いか。喜べ。このオレ様が、テメェを買い物に付き合わせてやる!」

 ぐったりと後ろ手に頭を掻きながら問う私に、バクラは更に楽しそうに言う。
…買い物?一体何を?
了とも盗賊とも違い、物欲なんてこれっぽちも無い彼が、買い物だなんて如何言う風の吹き回しだろう。
私はもう一度彼の言葉を反芻する。
『このオレ様が』『テメェを買い物に』『付き合わせてやる』。
…。
うぅん。
『このオレ様が』『テメェの買い物に』『付き合ってやる』。
…。
おぉ。
そう言う事か。
そう言えば数日前、買い物に行きたいとバクラに零していたのを思い出す。
今日は日曜日。晴天。最高のお出掛け日和。
何で素直に一緒に行ってくれるって言ってくれないんだ。
其処まで頑なに上から目線で無くとも良いんじゃないかい?
全く…しょーがないんだから。
そう思ったら、仁王立ちで腕を組み、上機嫌で笑うバクラが、何処か可愛く思えてきた。

「ありがとう。」
「ふん。解ったならさっさと仕度しな。日が暮れちまうぜ。」
「はぁーい。」

 ドアを開け、私が出るのを待って居てくれるバクラに小走りで近付き抱き締めた。
馬鹿な事をするなと言った彼の顔が、少しだけ上気していたのは、見なかった事にしてあげよう。
さて。何処に連れてってもらおうかな。